海の幸 … 鮭と蛸

  10, 2011 11:24
あの日(3.11)を境に、
もう届くことはないと思っていた、海の幸。
大変なはずなのに、それでも、そんな中でも、
こんな風に送ってくださって …
感謝、の一言ではとても足りない、頭が下がるような思いです。
私に出来ること …

地震が来たら沖に出る
 … 「沖出し(おきだし)」については、下の <続きを読む> に書きとめています …
宮城の親戚の人は、
言い伝えられてきた先人の教えを守ったのだそうです。
今、宮城で働くことが出来ないので、
助かった船と一緒に、北海道で漁業を営んでいて、
その 北海道から送ってくださいました。

伝わるかどうか分かりませんが、
それでも感謝の気持ちを込めて、up します。

氷頭の三杯酢 1 小
             「氷頭(ひず)の三杯酢」
 
氷頭(ひず)
  鮭の頭部(鼻の上)の軟骨部分のこと。
  氷のように透き通っているので、そのように呼ばれるのだそう。
送っていただいた鮭(下の写真)。
母がさばいてくれて、それを三杯酢で味付けしてくれました。
コリッコリッとして、美味しかったですョ ^^

   蛸で…酢の物 1 小
             「蛸で … 酢の物」

    まるごと?一杯 ゆでられた蛸も 送っていただいたので、
    こちらも氷頭と同じく、三杯酢で ^^
    この蛸が、噛めば噛むほど甘みが出てきて、とても美味しく ^^
    キュウリ、ワカメと一緒に和えて、いただきました。
     (ワカメも送っていただいたものです)

鮭 1 小 蛸 1 小
 鮭は全長 約60~70cm くらいでしょうか。
 1本は、友人におすそわけしました。
 お店でも、こういう形?のままの鮭を あまり見たことが無いので、
 友人も「おぉぉっ !」 とビックリしていました ^^ 
  
… 拍手を、どうもありがとうございます m(_ _)m
  そして、古い過去の記事に拍手をしてくださった方々にも、
  心から感謝しています m(_ _)m …
  
焦点 3.11大震災/是か非か 津波から船守る「沖出し」

「地震が来たら沖に出ろ」。
船を守るため、各地の漁師たちの間で言い継がれてきた先人の教えだ。
東日本大震災では、沖に出て津波を乗り切った船がある一方、波にのまれた船もあった。
津波から逃れるため漁船を沖に避難させる「沖出し」は、そもそも危険な行為と言われる。
明暗を分けたのは何だったのか。沖出しは是か非か。(勅使河原奨治)

<無事/浜の立地・水深幸い>
沖に出た18隻の全てが無事、港に戻った。宮城県南三陸町歌津の石浜地区。
「沖出し」の成功は、浜の立地や水深、津波の高さなど好条件の重なりが背景にあった。
石浜の漁師佐藤登志夫さん(63)は、
小型船で岸壁近くの測量を手伝っているとき、地震の揺れを感じた。
「岸壁の突端で、潮がざわめくように緩やかな渦を巻いていた」。
即座に港に戻って、測量業者を降ろした。中型船に乗り換え、沖を目指した。
佐藤さんの出港後、潮が徐々に引き始めた。
加藤良明さん(59)は地震から約20分後に港を出た。
港の水深が浅くなったため、船外機を斜めに上げ、かじを取った。
18隻目が出発したのは地震の約30分後だった。
加藤さんは「波があと10分早く来ていたら、半分ぐらいがのまれていただろう」と振り返る。
18隻は港から約500メートル沖合、水深約30メートルの地点で最初の津波を乗り切った。
「第1波が小さかったのも幸いした」と佐藤さんは言う。
沖合に大きな第2波が見えた。
船団は沖合約1キロ、水深50~70メートルの海域にさらに避難した。
「船は波にふわりと乗るように上下に動くだけだった」(佐藤さん)。
振り向くと、第2波が港を襲っていた。
船団は押し寄せたがれきと連発された津波警報で、港に戻れず、
海上で3夜を過ごし、3月14日の朝に港に戻った。
石浜地区は歌津半島の先端部分に位置する。
湾の奥行きは約350メートル。湾を出るとすぐ外洋に面する。
リアス式海岸のため、岸から水深の深い場所までの距離も短い。
漁師の佐藤孝悦さん(61)は「好条件が重なって船を守れた。
無事だった船で早く漁を再開し、地域を元気にしたい」と語る。

<被災/遠浅の海、引き潮急>
「俺は行く」。そう言って海に向かった男が、再び浜に戻ることはなかった。
宮城県山元町の磯浜漁港。
経験のない激しい揺れに漁師たちが沖に船を出すか、
陸に逃げるかで迷う中、ただ一人、沖に出た。
磯浜の複数の漁師によると地震当時、浜では10人ほどの漁師が漁具の整理などをしていた。
男性は地震の約10分後に港を出た。間もなく、港に変化が表れた。
「波が『ぴちゃぴちゃ』と小刻みに揺れ、潮が引いていった」(地元漁師)
磯浜の漁師星義雄さん(83)は家族を避難させるため、いったん自宅に帰り、港に戻った。
「船を出そうとしたが、もう出せないくらい潮が引いていた。
無理に出港していたら、自分も駄目だっただろう」
星さんら数人の漁師は、近くの高さ約20メートルの磯崎山公園に登った。
海を望むと、数百メートルにわたって海の底が見えたという。
「1キロ以上沖合で、引き潮で水深が異常に浅くなり、動けなくなっている船が見えた。
男性の船だったのかもしれない」と星さんは言う。
磯浜の海は遠浅だ。
津波の影響を受けにくい目安とされる水深50メートルの所まで、浜から約32キロはある。
一般的な漁船の速度は10~20ノット。
20ノット(時速約37キロ)出る漁船でさえ1時間近くかかる計算だ。
地震の約1時間後、磯浜を津波が襲い、
波は磯崎山公園にいた漁師たちの膝元にまで達した。
数週間後、一人沖に向かった男性は相馬沖の海底で見つかった。
真っ二つに割れた船の片方にロープで体を縛り付けていたという。
磯浜の漁師たちは「最後まで船と一緒だった。
船が遺体の場所を教えてくれたのだろう」と悼んだ。

◎基本的には危険行為/津波で操船不能・転覆の可能性/避難海域、詳細に設定を

津波が襲来するとき、漁師たちはどう行動したらいいのか。
水産庁は2006年3月に策定した「災害に強い漁業地域づくりガイドライン」で、
対応方法を示している。
(1)漁船が沖合にいる場合は、水深50メートルより深い海域に避難する
(2)陸上や海岸部、漁港内にいる場合は陸上の避難場所に逃げる―が基本線だ。
ガイドラインでは、沖出しした漁船は津波の流速で操船不能になったり、
砕けた波に巻き込まれたりして転覆する可能性が高いと指摘。
津波は水深の浅い場所へ向かうほどエネルギーが凝縮されて大きくなるため、
影響を受けない一時的な避難海域をおおむね水深50メートル以深としている。
さらに大きな津波が予想される場合は、より深い水域への避難を求め、
津波を乗り切っても、海上で6時間以上は待機することを求める。
50メートル以深という指針自体も
「全国的に適用する際の目安」(ガイドライン)にすぎない。
地域によって湾の形やもともとの水深、想定される津波の高さも違う。
ガイドラインは「詳細な避難海域を設定するためには
専門家らの助言を踏まえることが望ましい」と示している。
岩手県や宮城県北部の沿岸は、深い谷が海に沈んで形成されたリアス式海岸のため、
港から比較的近い所で水深50メートル地点に達する。
一方で仙台湾以南は遠浅のため、水深50メートルラインは港から30キロ以上離れている。
ガイドラインの策定に携わった
東北大大学院災害制御研究センターの今村文彦教授(津波工学)によると、
港に停泊中の船を沖合に出す場合は
(1)始動までの時間
(2)港出入り口部分での渋滞
(3)養殖棚の点在―などの悪条件から、
避難海域に到着するまでに想像以上に時間がかかるという。
今村教授は「沖出しは基本的には危険な行為」と前置きした上で
「もし沖出しをする場合は、事前に安全が確保できる避難海域を設定すること。
避難訓練などで、そこまでの到達時間を把握することが最低限の条件だ」と強調する。
           2011年05月14日土曜日
 ~ こちら より引用 ~


東日本大震災:「奇跡の船」次世代に 宮古・田老港
震災で津波被害を受けた岩手県宮古市の田老港に無傷の漁船が1隻だけ停泊している。
漁師の下西文一(ぶんいち)さん(73)の小型船「かつ丸」。
地震直後、港にいた下西さんが沖に出航して間一髪、被災を免れた。
下西さんは漁からの引退を考えているが、
壊滅した港につながれた「奇跡の漁船」を誰かが引き継ぎ、
復興の先頭を切ってほしい。そう願っている。

「津波の時には沖に出ろ」。
下西さんは港で大きな揺れを感じた瞬間、
96歳でこの世を去った父孫次郎さんの言葉を思い出した。
漁師だった孫次郎さんは1933年の昭和三陸地震津波で船を沖に出して無事だったという。
考えるよりも先に体が動いた。
近くにあった自転車をこいで、200メートル先に停泊してあった「かつ丸」に飛び乗った。
「自宅のかかあ(妻)も気になったけど、自分と船を助けるにはこれしかねえ、と。
漁師には『船は命』だから」

水産庁防災漁村課が06年に作ったガイドラインでは、
津波が来た時、漁港周辺の漁船は(その方が早ければ)
水深50メートル以深の海域に避難するように定めている。

3キロほど沖に出て陸を振り返った。
見たこともない巨大な波が港をのみ込むのが見えた。
「悪い夢を見ているようだった」。港に近寄れない。
上陸できたのは、食料が尽きた3日目の朝だった。

かつ丸は90年進水。船名は妻勝(かつ)さん(68)の名前から付けた。
その勝さんとは宮古市内の病院で再会。
濁流にさらわれたところを若い男性に救い出されたらしい。
「おれらは幸運だった」。
喜びもつかの間、漁師仲間の悲報を相次いで聞き、途方に暮れた。

港に500隻以上あった漁船はほぼ全滅した。
養殖ワカメやウニ、アワビで知られた港の面影はない。
復興には時間がかかりそうだ。
「この年齢だから、もう船には乗らねえ」。引退を決めた。

港につながれた「かつ丸」は、次の乗り手を待つかのように波に揺られている。
「誰か乗りたいって言ってくれればなあ」。
下西さんは、復興を担う若い世代に「命」をバトンタッチする日を待っている。【伊澤拓也】

毎日新聞 2011年4月7日 11時11分(最終更新 4月7日 11時19分)
 ~ こちら より引用 ~
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